『最下層の福音:Yu-metalが銀鱗を台所に捧げる理由』

1.「じょんならん」という名の、深淵なる日常


​「じょんならん」……。
讃岐の地に生を受けた者であれば、人生のどこかで必ず、この絶望と諦念が泥のように入り混じった五文字を口にすることになる。直訳すれば「どうにもならない」ということなのだが、私の日常においてはこの言葉は、もはや呼吸と同じくらいの頻度で、ごく自然に肺腑から漏れ出す「魂の異音」のようなものなのである。
​二女が誕生したのを機に、妻の実家がある香川へと移り住んで二十年。気がつけば私は、絵に描いたような「マスオさん」状態のまま、この地で人生の荒波に揉まれてきた。かつての私は「婿養子に入るのだけは死んでも阻止する」と、まるで関ヶ原の戦いに臨む武士(もののふ)のような悲壮な決意で最後の一線を死守したものだが、実質的な家庭内権力構造において、それが何の抑止力にもならなかったことは、現在の私の立ち位置が哀れなほどに証明している。
​現在の私の家庭内地位は、言うまでもなくピラミッドの最底辺。二匹のオス猫(彼らは少なくとも自ら家事をしないことで責められることはない)よりもさらに下、カースト制度で言えば分類不能な「塵(ちり)」、あるいは「背景」に近い存在である。そんな私が、唯一「自分という名の個体」を再確認できる場所。それが夜の瀬戸内海なのである。


​2.ベイトリールという名の、不条理な「荒行」


​釣り歴は、気がつけばニ十年という、長い年月を数えていた。いい加減、分別のある大人として「効率よく、楽に釣る方法」を選択すればいいものを、私はあえて「ベイトリール」などという、およそライトゲームという繊細な営みには不向きな厄介者を、あえて相棒に選んでいる。
スピニングリールという「人類が到達した至高の利器」に身を任せれば、ライントラブルなどという無粋な事象とは無縁でいられるだろう。しかし、私はあえて親指一本でスプールの機嫌を伺う「サミング」という名の、孤独で、かつ全く報われない荒行に身を投じているのだ。
​一歩操作を誤れば、暗闇の中で「バックラッシュ」という名の、救いようのない鳥の巣が出来上がる。それは、私の乏しい小遣いで購入した高価なラインが無惨にゴミと化すことを意味している。私はそのたび、夜の海で一人、自分のあまりの不器用さに悶絶し、自己嫌悪の深海へと音もなく沈んでいくのである。
なぜ、わざわざそんな茨の道を行くのか。それは、ままならない人生において、自分の指先一つが道具の回転と直結するその瞬間だけが、唯一、誰にも邪魔されない「純粋な自由」であり、家庭内最下層民としてのささやかな「反抗」でもあるからだ。23カルカッタコンクエストBFSを搭載したBeams inte 64ulを握っている間だけ、私は惨めな現実からの一時的な「脱走」を許されるという按配なのである。


​3.供物、あるいは生存のための「卑屈な外交」


​「……また、釣り?」
背後から飛んでくる、冷やしすぎたぶっかけうどんの出汁よりも冷徹な、嫁という名の最高権力者による宣戦布告。
「がいな(気の強い)」讃岐女を妻に持った私の苦労は、もはや筆舌に尽くしがたい。私はそこで「これは男のロマンなんだ」などと、火に油を注ぐような青臭い正論を吐くほど、世間知らずではない。そんなことを口走れば、私の今夜の就寝場所は間違いなくベランダに変更され、翌朝には戸籍から抹消された上に、燃えないゴミとして集積所に放置されかねない。
​私は静かに、しかし最大限の卑屈さと「無害なナメクジ」を装った表情を浮かべて答える。
「……いや、明日の君のお弁当の、おかずを調達しに」
​そうなのだ。私の釣りは、もはやレジャーではない。家庭の平穏を維持するための「戦略的物資調達業務」なのである。
幸いなことに、こんな親の背中(というか嫁に怒鳴られて小さくなっている後ろ姿)を見て育った二人の娘たちは、よくぞここまで立派になったと感心するほど真っ当に成人し、すでに巣立っていった。今や私の戦う相手は、残された猫二匹と、最強の「がいな」妻だけである。
アジなどが釣れれば、翌朝には南蛮漬けとなって嫁の弁当箱に鎮座し、我が家にはつかの間の平和条約(有効期限:翌日の夕食まで)が締結される。もし「ボウズ(収穫ゼロ)」という無様な結果に終われば、私の生存権は著しく制限され、朝食のパンはさらに薄く、バターの塗り幅は分子レベルでしか確認できないほど縮小されるに違いない。


​4.このブログという名の、ささやかな「抵抗の記録」


​そんなわけで、この『恐妻家アングラーの台所@うどん県』では、私の日々の空回りを以下の三本柱で、訥々と記録していくつもりである。
​鋼の道具箱: 幾度となくバックラッシュに頬を濡らしてきた私による、ベイトタックルの深淵と、尽きることのない懊悩。
​鋼鉄釣行録: 高松・坂出周辺で、嫁が設定した「門限」という名の厳しい検問に怯えながら繰り広げる、隠密釣行記。
​恐妻家の台所: 命からがら持ち帰った釣果を、迅速におかずに変換し、家庭内地位をミリ単位で向上させるための、涙ぐましい料理術。


​5.おわりに


​もしあなたが、職場と家庭という二枚の硬い板の狭間で板挟みになり、ペシャンコに潰されながらも、それでも海に向かわずにはいられない「同胞」であるなら、ぜひこの記録を覗いていってほしい。
共にリールのハンドルを回し、バックラッシュの恐怖に打ち勝ち、今夜も家庭内平和への一投を、震える指先で投じようではないか。
なにしろ今夜の釣果次第では、妻の地雷のスイッチが入り、釣りという唯一の「純粋な自由」を剥奪されかねないのだから。

タイトルとURLをコピーしました