1.敗北者の帰還
昨夜の海は、私に一匹の魚も、一欠片の希望も与えてはくれなかった。
残されたのは、指先に残るバックラッシュの虚しい感触と、高価なルアーを海に奉納したという、財布への大ダメージだけである。
「……魚は?」
案の定、朝一番に嫁から投げかけられたその言葉は、もはや質問ではなく「宣告」に近い響きを持っていた。私は「いや、今日は海に感謝を捧げてきたんだ」という、自分でも反吐が出るほど見苦しい嘘をつきながら、そそくさと台所へ逃げ込んだ。
手ぶらで帰った私に許された唯一の生存戦略。それは、今日一日の彼女の機嫌を劇的に改善させる「お弁当」という名の献上品を作り上げることである。
2.三色の彩り、そして「免罪符」の構築
私は冷蔵庫の扉を開け、その深淵から「使える」戦力を引きずり出した。
まずは、もやし、にんじん、ほうれん草。これらをさっと茹で、ごま油と塩で和えてナムルに仕立てる。この鮮やかな三色の彩りは、昨夜の漆黒の海でボウズという名の絶望に打ちひしがれていた私の目には、あまりに眩しい救いの光に見えた。
続いて、ごぼうを手に取る。昨夜のバックラッシュしたPEラインを裁くような手つきでささがきにし、甘辛い「きんぴら」へと昇華させる。これこそが、家庭内平和を維持するための、私なりの「免罪符」の土台となるのだ。
3.多国籍なトッピングと「味の包囲網」
メインディッシュは牛肉と玉ねぎのプルコギ、そして豚肉とアスパラのニンニク炒め。
しかし、私の「保身」に対する執念は、これだけでは収まらない。隙間を埋めるようにキムチとザーサイ、そして白米の中央へ一粒の梅干しを鎮座させた。
ナムル、肉料理、そして漬物たち……。お弁当箱の中は、さながら東アジアの旨味がひしめき合う「多国籍軍」の様相を呈している。この圧倒的な密度こそが、ボウズの罪を贖うための、私なりの誠意(という名のドーピング)なのだ。
4.おわりに
出来上がったのは、彩りとスタミナ、そして私の「謝罪」がぎっしりと詰まった、隙間のない完璧な「彩り弁当」である。
「……ふーん、随分と豪華じゃない。釣れなかった割には」
弁当箱を受け取る嫁の口元が、わずかに、本当にわずかに緩んだのを私は見逃さなかった。
どうやら、失ったルアーの代償としての「おやつ抜きの刑」は、今回のこの彩り弁当によって、執行猶予となったようである。
私は、彼女が職場へと出かけていく背中を見送りながら、静かに台所の後片付けを始めた。
次こそは、この弁当箱の中に、私が釣り上げた誇り高きチヌの切り身を……いや、贅沢は言うまい。せめて、スーパーで買ったのではないと確信できる程度の「魚の気配」を詰め込んでやりたいと、心に誓うのである。

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